シン・ゴジラと僕
せめて、怪獣らしく。
怪獣王ゴジラ、帰還す。
世界よ。これがゴジラだ。
バズりまくっているし、すごいすごいと騒ぎ立てられているので、「そりゃそうだろう。しかし、早くヱヴァみたいよ」なんて冷ややかな目線でぼやきながら素直に鑑賞する気にはなれなかった。
実際に観てみると、これは日本人による日本でしか作れない日本人のための特撮映画であると強く感じた。世界に向けて胸を張れる作品だ。もちろんヱヴァファンも充分に楽しめる。眼帯つけた謎の美少女も汎用人型決戦兵器も出てはこないが、これだけの素晴らしい作品を作られてしまうと、もうちょっと、ヱヴァの続編を待つ気にすらなる。「ヤシマ作戦」のテーマをリエディットしたような「ヤシオリ作戦」の音楽や東宝映画の過去作品、宇宙大戦争をオマージュしたマーチの引用も鳥肌が立った。
ネット上で、「パトレイバー」や「攻殻機動隊」などを手がけた、アニメクリエイター押井守監督の実姉、最上和子さんがシン・ゴジラを真っ向からぶった斬っている記事がバズっている。この方の批評は的を得ている。僕が観て感じた、出てくる人間の作られたキャラクター感、実写だけどアニメを観ているような感覚に違和感を持っているのだ。僕はシン・ゴジラにおいて最上和子さんが指摘されている庵野監督の「生」の描き方に好感を持った。「攻殻機動隊」の表現を引用すると、僕らが生きているこの世界を現実として、現実における創作における俳優=義体という器の中に、ゴーストを吹き込んだことに庵野監督は成功したのでは、とも解釈できないだろうか。淡々とした表現の中に、生きた人間よりも活き活きとキャラクター性が前面に描かれる。まるで機械や人形、アニメのキャラクターが限りなく人間に近づいたような感覚は、不気味であり、違和感を感じるのも無理はない。庵野監督が現実(実写)のベースのうえに虚構(アニメ、特撮など)を創り上げることが目的だったとしたら、それこそが日本が作ってきた特撮の醍醐味であるし、庵野監督にとってはどんな評価や賞よりもこの批評は最大の賛辞なのかもしれない。庵野監督はシン・ゴジラで観衆の脳をハックした。まるで、「攻殻機動隊」で描かれた「人形使い」のように。
text/SNYZY・PINKS
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