こち亀よ永遠に

公式サイトで秋本先生のコメントと40年の変遷がまとめられている。僕が両さんと出会ったのは20年前くらい。ジャンプでは1000話、90巻〜100巻のあたりだったと記憶している。いまだにジャンプを毎週読み続けているが、こち亀の安定感は絶大。

両さんのアイデア商品は、実社会にも影響を与えたりした。3Dテレビ、3Dカメラなんかはまんま未来予知だった。

話数が多すぎて、すべて覚えていないけれど1番記憶に残っているのがエアマックス95が大ブレイクしていた当時、両さんが商店街の依頼で「エアワラジ」を開発する話し。

JC:103巻 「スニーカー世界戦略」

via:こち亀ウェブ亀やしき両津勘吉園長プロデュース業全遍歴 より


ちょうど20年前もスニーカーブーム。

このエピソードはログミーで書き起こされているトリガーマンガサロン主催のマンガ経営塾にて、両さんが数多く手掛けたメディアミックス事例の好例として取り上げられている。こち亀は数え切れないほど、当時の流行を踏襲したネタで楽しませてくれた。ブームはこうしてつくられる。「あれ、なんかかっこいいかも」という錯覚は伝染し、流行になり、スタンダードになっていくのだ。


エアワラジ96ダンク田吾作モデル

フルレンジエアには梱包用プチプチを採用。NBA選手がこれを着用し(無理矢理はかせた)世界的なブームとなった。両さんの突飛なアイデアと影響力は、ナイキの経営陣と肩を並べる藤原ヒロシ氏に通じるものがある。両者ともに東京を象徴するアイコンだけにH×Rの共演を見てみたかった。両さん、秋本先生、40年間ありがとうございました。

text:SNYZY・PINKS

via:こち亀.com,Logme